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書評

安藤英治[聞き手]・亀嶋庸一[]・今野元[]

『回想のマックス・ウェーバー――同時代の証言――』岩波書店2005

『週刊読書人』2005.9.23.

橋本努

 

 

 人間としてのマックス・ウェーバーに心底惚れこんだ研究者として知られる安藤英治氏(1921-1998)は、一九六九年から一年間ドイツへ留学した際にさまざまなインタビューを行っていた。当時はまだ重くて大きい録音機材を持ち込んで、ウェーバーと交流のあった人々を丹念に訪れていたのである。その内容はすでに同氏の『ウェーバー紀行』(1972)においても一部紹介されているが、今回、安藤氏の録音したテープの主要部分が書き起され、それを邦訳したインタビュー証言集が刊行された。証言はいずれも、晩年のウェーバーの生活と影響を語る貴重な資料的価値をもつものばかりであり、すぐれた訳文と訳者による詳細な注釈も手伝って、ウェーバーと同時代を生きた人々の肉声を生き生きと伝えている。人間学におけるウェーバー論に新たな光をもたらす成果として、本書刊行の意義は極めて大きいだろう。

 人間ウェーバーについて、私たちは妻マリアンネの書いた伝記を通じて包括的に知ることができるが、しかし安藤氏は、その叙述にウェーバーの「聖人化」作用があるのではないかと警戒し、自らはウェーバーの「素顔」に迫ること、そしてウェーバーの生きた人生を追体験することを研究の目標としていた。例えば安藤氏は、ウェーバーの愛人とされるエルゼ・ヤッフェ(当時95歳)に対してインタビューを試みている。氏はおそらく、エルゼからマリアンネとは別のウェーバー像を引き出すことができると期待したであろう。しかしこのインタビューでは、ウェーバーが死の直前にマリアンネとエルゼの二人を連れて、ヴァーグナーのオペラ『ヴァルキューレ』を見に行ったことなどが語られているにすぎない。

色のある話はプレスナー夫妻からでてきた。夫妻によると、エルゼ・ヤッフェは最初マックス・ウェーバーを魅了し、後に弟のアルフレートを魅了して、彼女が生んだ娘はおそらくアルフレートとの間の子であったというのである。

こんなプライベートで推測にすぎない事柄を、はたして書いてしまっていいのかという疑問の余地も残るだろう。また安藤氏がこれに対して、「それは学問的にきわめて重要なことです」と答える姿には、やや幻滅してしまう。しかし安藤氏の愛すべき人柄は、そうした非難を免じているようにも思われる。

 それはそれとして、本書から晩年のウェーバー像を探るかぎり、ウェーバーは禁欲的な合理主義の生き方(近代主義)を捨てたのではなく、むしろその過剰さの中にあって、ユーモアや人間味を失わなかった、と言えるのではないだろうか。演習に際してウェーバーは、「諸君、仕事は学のある部類のもののシュナップス(アルコール度の高い蒸留酒)である!」と述べたという。知識人にとって仕事とは気分転換だ、というだけのユーモアと熱情を、ウェーバーはもち合わせていたのである。この他にも、ウェーバーは罪の意識から次第に解放されていったこと、ヴァーグナーのオペラを好んで聴きに行ったこと、あるいは日本人外交官亀井貫一郎氏の突然の訪問や外食に付き合ったりしたことなどは、禁欲精神の相対化を表す証言であろう。

晩年のウェーバーは、しばしば指導者民主制を称揚してナチズムを呼び起こしたのではないかと糾弾されることがある。しかしビルンバウムの証言では、ウェーバーは小選挙区制を重視したのに対して、ナチスは比例代表選挙を基盤として成功したという。ウェーバーの政治的立場について、改めて考えさせられる論点であった。